2009年9月30日水曜日

30.ありがとう、素晴らしき仲間たち。ありがとう、夢の国ラダック。

 レーのマーケットを歩きながらジミー家の事を少し考えた。ジミーの奥さんのクルスンとその妹のラジーはカルギルからやって来た。カルギルとはムスリムが95パーセント、ブッディストが5パーセントほど住んでいて、パキスタンの実行支配地域から非常に近い街だ。1990年代には戦闘にも巻き込まれた街なのだ。彼女たちは、その紛争を経験している。感慨深かった。

 マーケットを抜けてジミーの家に向かうとその近くでよく見かける女性の3人組にあった。いつもにこにこしているこの付近の顔役のブッディストのおばさん、売店のムスリムのお姉さん、そしてヘミス・シュクパチャン近くの村から出てきたブッディストの大学生。ここではブッディストもムスリムも仲がいい。

 ジミーの家に戻るとラジーが僕のためにディナーでトゥクパを作ってくれると言う。僕は嬉しかった。実をいうとラジーは料理が凄く下手だ。それはジミー家全員が認めている。この前なんかミルクティを作ったつもりがそれはミルク湯だった。紅茶を入れてなかったのだ。そんなラジーが今、目の前でトゥクパを作ってくれている。慣れない手つきで一生懸命作っている。それを見て僕はちょっと感動してしまった。トゥクパが出来上がったみたいだ。見た目は・・・。一口食べる。味も・・だったが、僕にとっては世界一好きな料理になった。一番好きな料理はと聞かれたら、躊躇なくラジーのトゥクパと答えるだろう。

 次の日の朝、僕はラダックを後にした。


 〜遥か昔、今のアフガニスタン東部、パキスタンの北西部、カシミール地方の一部にまで広がっていたガンダーラという国があった。仏教の聖地として、時のブッディストたちは、ここを目指す事が夢だったと言う。僕はラダック全体もガンダーラの一部だったのではないかと考える。ラダックは現在も、遥か昔からの憂愁の美しさと文化を今も残している土地だ。それは人々の心の中にも深く根付いている。”誰も皆行きたがるが、遥かな世界”だったのだ。

 ありがとう、素晴らしき仲間たち。ありがとう、夢の国ラダック。

Leh market


 最終日、レーのマーケットを歩く。

People at Leh


 ジミーの家の近くで井戸端会議。いつもいる3人組。

kulsom and Raziya


 左がラジー。右がクルスン。

Raziya


 ラジーが慣れない手つきでトゥクパを作っている。

dinner


 ラジーが作ったマトン・トゥクパ。ありがとう。

2009年9月29日火曜日

29.サブー村の電話

 サブー村に入る。一時期ラダックの首都だった事が信じられないほど静かだ。本当に静かだった。村内を歩き回る。ジミーに迎えにきてもらうために電話を借りなければならない。電話ボックスはもちろんない。人影もあまりない。電話を借りるためにラダッキ・ハウスを一件づつ訪ねる。

 やっと5件目でおじさんが出て来てくれた。レーから山越えをして来た事を話、友人に連絡を取りたいむねを伝える。おじさんは快く電話を貸してくれた。ジミーに連絡をとると、すぐに迎えに来てくれると言う。おじさんに感謝し、そして村を縦断、マナリ・ハイウェイにの方に歩いていく。

 30分ほど歩くと前からジミーの車がやってきた。ジミーの車に乗り込んで、マナリ・ハイウェイをレーに向かう。

 途中、ランチにマーケット内のレストランで揚げたてのモモを食べた。ジミーとランチを食べるのもこれが最後かと思うと少し寂しかった。

 ジミーが言う「また来いよ。」

Saboo village


 サブー村に入る。村内の道をあるいている。静かだった。

Saboo village


 サブー村のラダッキ・ハウス。人影はなかった。

Saboo village


 このおじさんが電話を貸してくれた。ありがとう!

Saboo village


 おじさんのラダッキ・ハウス。屋根にはためくタルチョがブッディストの証。

lunch at Leh


 レーのレストランで食べた揚げモモ。

2009年9月28日月曜日

28.ラジーの憂鬱

 朝、目を覚ます。ジミーは朝の仕事に出かけていた。ジミーはジェット・エアウェイの従業員でもある。基本は自由人だが、いろんな仕事を持っているし、いろんな仕事をする能力がある。特殊技能の免許の数は20を下らない。で、今日は空港に行っている。ジミーの奥さんのクルスンは、子供を学校まで送りに行っている。

 今朝はクルスンの妹のラジーがいる。ラジーに朝食を作ってもらった。ラダッキパンのタギ・カンビルをちょっと焼いてもらい、アプリコットジャムとバターを塗って食べる。ミルク・ティーを一口飲む。ラジーと目が合ったので笑い返した。するとラジーが近寄ってきた。ラジーが僕の目を覗き込む。ラジーと僕の顔は10センチと離れていない。やばいと思い、少し後ずさりをする。ラジーの両手が僕の首に絡み付く。手にしたミルク・ティーがゆっくりこぼれ落ちた。その時、後ろのドアが開き、子供を送りに行っていたクルスンが入ってきた。クルスンは僕らを見ると笑いながら「オゥ。オゥ。」と言ってはやし立てた。僕は腰砕け状態で壁にもたれかかり、笑いながらクルスンに「ジュレー」と言った。

 明日で僕はレーを離れる。今日は実を言うとラダック滞在最後の日なのだ。

 今からレーの裏山のトライアングルマウンテンを越えて向こうにあるサブー村までショートトレイルをする。トライアングルマウンテンはかなりの斜度だった。360度ドライマウンテンに囲まれている。視界に入る風景の中に自分一人しかいないと思うとなんか不思議な感じがする。これももう慣れた景色だった。なかなかサブー村にたどり着かない。しばらくして迷った事に気づく。徐々に焦って来た。山中をさまよって2時間ほどが過ぎた。なぜかラジーの顔が頭に浮かんだ。その時、チョルテンの向こう側、乾いた大地の中に、緑あふれるサブー村が見えてきた。助かったと思った。

triangle mountain


 トライアングル・マウンテンは結構斜度がきつい。

triangle mountain


 石のペイントとトライアングル・マウンテン。

triangle mountain


 サブー村になかなかたどり着けない。やっぱり迷った。

triangle mountain


 渓谷をひたすら下りだす。今度こそ、たぶん何かあるはず。

Saboo village


 チョルテンの向こうにサブー村が見えてきた。助かった。

2009年9月27日日曜日

27.老人はコインを抱く

 ガングラス村を後にして、シャンティ・ストゥーパに向かう。

 若き日の中村行明上人がラダックの人々と協力しながら建てたお寺だ。1985年建築なのでまだ新しい。車でシャンスパ村に入っていくと手作りの小さな看板が村の入り口にかかっており、そこには”シャンティ・ストゥーパ”とつたないカタカナで書かれていた。見上げると高台の上にそれは建っていた。

 高台に登り、シャンティ・ストゥーパの入り口に車を止めて入っていく。そこから見えるレーの眺めは最高だった。東に顔を向けると右にレーパレス、左にナムギャル・ツェモがまるでひこ星とおり姫のようにお互いに見つめ合うかのように建っていた。その手前には緑に彩られたシャンスパ村が広がっている。シャンティ・ストゥーパの回りを一周しながら高台からの景色を堪能する。

 左に目を向けると椅子に一人の老人が座っている。僕が日本人と分かると老人が「ここで待っててください」と言い残し、シャンティ・ストゥーパ横の小さな建物に入っていく。そして2,3分ほどするとそこから出てきた。老人の手のひらに乗っている小さな巾着袋の中には、シャンティ・ストゥーパをいっしょに作った日本人の思い出とともに、500円玉1枚、100円玉2枚、50円玉1枚、10円玉3枚が大切そうに入っていた。

Shati stupa


 高台にあるシャンティ・ストゥーパ。

Shati stupa


 シャンティ・ストゥーパからレーの方を望み見る。

Shati stupa


 シャンティ・ストゥーパ。別角度から。

view from Shati stupa


 シャンティ・ストゥーパからみえる。レーパレスとナムギャルツェモ

oldman from Shati stupa


 シャンティ・ストゥーパで出会った老人

2009年9月26日土曜日

26.ガングラス村と牧羊犬

 レーに戻る途中、ガングラス村に寄る。

 ガングラス村はビーコン・ハイウェイから外れたところにあり、静かな村だ。村の道はのんびり感があふれており、道両側の石の垣根に洗濯物が干されているのを見ると、なんだかほっこりしてくる。

 この村にはジミーの親戚が住んでいる。親戚の家の前に立つ。トラディショナルなラダッキハウス。すごく古い。親戚のおばさんに家の庭に通される。庭に石で作られたかなり広い小屋があり、中はたくさんの区画に分かれている。冬の間はこの中に羊を入れておくという事だ。

 庭を歩いていると「バゥ、バゥ」と犬に突然吠えられてびっくりしたが、鎖につながれているのでほっとする。羊を追う犬という話だ。昔からの生活がここにはある。こんな村にも消費社会の足音がすぐそこまで迫って来ている。

 おばさんはポツリとつぶやいた。「昔は貧乏な人なんて一人もいなかった。お金や物が村に入ってくるようになって、貧しい人が増えたのよ」と。

Ganglass village


 ジミーの親戚の家。かなり古い。トラディショナルな生活をしている。

Ganglass village


 ガングラス村の村道。

Ganglass village


 牧羊犬に突然吠えられてびっくりする。

Ganglass village


 ジミーの親戚のおばさん。

Ganglass village


 庭の左手には冬の間、羊を入れておく石造りの小屋がある。

2009年9月25日金曜日

25.ヌブラとヌードルの真実

 カルドン・ラの頂上に立っている。かなり寒く、風が強い。たくさんのタルチョが時おり吹く突風と共に「ゴッ」「ゴッ」と野太い声ではもっている。

 ジミーが「頭が痛い」といっている。高山病の症状が出始めている。さすがの高地で生活しているラダッキも標高5602メートルは堪えるみたいだ。僕はなんともない。

 ルーフにたくさんの自転車を乗せたバスが次々と入ってくる。アングロサクソン系の観光客がバスから降りて自転車をおろし、カルドン・ラからレーまで自転車で激滑走するのだ。世界には命しらずがたくさんいる。僕はそんな奴らが大好きだ。

 カルドン・ラをレーとは反対側に降りるとヌブラという土地がある。ヌブラは昔昔ラダックと東トルキスタンの貿易の拠点ですごく栄えていたらしい。そして近年インドと中国の国境が封鎖され、今は静かな村に戻ってしまっている。僕が今立っているカルドン・ラを突っ切るビーコン・ハイウェイが貿易ルートになっていたのだ。歴史に翻弄され続けた村々がここにはある。そして今も翻弄され続けている。

 カルドン・ラの茶店で僕らはヌードルを食べる。ジミーがここのヌードルはすごくうまいと言う。僕も食べてみる。たしかにうまい。この麺のちぢれ方。そしてこの食感。これは僕がよく知っている味。まさしくそこで出されたのは○清のカレーヌードルだった。

 さぁ。レーに戻ろうか。

Khardung La


 カルドン・ラ頂上では多くのタルチョが旗めいている。

Khardung La


 カルドン・ラから見える山。雪をかぶっている。

Jimmy at Khardung La


 高山病の症状が出て少しへこんでいるジミー。

noodle at Khardung La


 まさにこの味と麺のちぢれ方は○清のカレーヌードルだった。

Khardung La


 さぁ。レーに戻ろうか。

2009年9月24日木曜日

24.小銃とサムライ

 レーの街の中心に小高い岩山がありそこにちいさなゴンパがある。観光客が立ち寄るようなゴンパではない。この岩山に登るとレーの街が360度見渡せる素晴らしい場所なのだ。朝、その名前もしらないゴンパがある小さな小さな岩山に登る。レーの街の西側には緑が広がっている。レーの街にいると緑があまり感じられなかったが。ここに登って見渡すとレーは緑で囲まれているのが分かる。素晴らしかった。

 ジミーが言う。「今日はカルドン・ラに行こう。」

 カルドン・ラというのは、車で行ける場所の中では世界中で一番高い場所なのだ。標高5602メートル。ヨーロッパ最高峰のモンブランより高く、アフリカ最高峰のキリマンジャロより少し低い。もちろん酸素は少なく、気温も低い。一つ問題がある。カルドン・ラに行くにはインナー・ライン・パーミットと言う許可証が必要なのだ。この許可証は今日一日で取れるもんではない。

 僕が言う。「インナー・ライン・パーミットを持っていない」

 ジミーが笑って言う。「スズキ・サムライ・ダイジョウブ」

 ジミーの車でビーコン・ハイウェイをカルドン・ラに向かっている。どんどん標高をあげて行く。道は舗装されてなく、崖から落ちると確実に助からないだろう。

 しばらく行くとインド軍が設置している検問所があった。僕は少し緊張する。ジミーが車を止めて検問員と話している。「ノー、ノー」と検問員は言っている。検問員が小銃を僕に突きつけながら近づいてくる。僕はとびっきりの笑顔を作って、リュックからタバコを2カートン取り出し渡す。事前にジミーと打ち合わせした通りに振る舞った。すると彼は「オーケー、ゴー」と言ってくれた。車を走らせながらジミーとハイタッチをした。

 ジミーが「スズキ・サムライ・ダイジョウブ」と言った。

Leh palace


 小高い岩山より望み見る、左にレー・パレスと右にナムギャル・ツェモ。

view from Leh palace


 レーの西側に緑が広がる。

Khardung La


 カルドン・ラに向かうビーコン・ハイウェイ。

Khardung La


 カルドン・ラ付近の渓谷。ここで標高5500メートル。

Khardung La


2009年9月23日水曜日

23.大合唱とCDショップの夜は更けて

 マナリ・ハイウェイを疾走している。シェイ・ゴンパが見えてきた。もうあたりは暗くなり始めている。シェイ・ゴンパの近くに池が広がっている。池の向こうのラダックの山々だけが夕日を反射している。本日最後の夕日の中のぎりぎりの景色になりそうだ。まわりは静かだった。フランス人の運転する自転車がレーへの帰りを急いでいた。

 レーまであと少しだ。ダライラマ・ホームを過ぎたあたりで右側の側道から一台のトラックが曲がってきてバイクの前についた。トラックの荷台には学校帰りの大勢の子供たちがのっていた。ジミーが手を振ると子供たちも手を振る。子供たちがみんな興味深げにこちらを見ている。そんなこんなで成り行き上、僕が、”きらきら星”を大声で歌いだす。子供たちはいっしょについて来て大合唱がはじまる。もちろんトラックもバイクも走り続けている。ぼくは学校の唱歌をかたっぱしから歌っていく。子供たちと大合唱。レーに着くまでみんなで歌を歌い続けたのであった。レーに入るとトラックは左折して僕らの前から消えていく。トラックからの子供たちの”ジュレー”の声が遠ざかっていった。

 やっとジミーの家に到着した。すっかり暗くなってしまっていた。家で食事を食べ終えるとジミーが言った。「僕のCDショップの店番をたのむよ」ジミーは近所に音楽CDや映画DVDを扱っている店を持っていて、たまに気が向いた時にオープンさせる。僕は今日だけショップの売り子となる。「このオーガニックな音楽は・・」とか「この映画監督の初期の作品は・・」なんて客とよもやま話をしながら店員役を楽しむ。以前某大手レコードショップで働いていた時のことを思い出している自分がいた。売れ行きは上々だった。

 こうしてレーの夜は更けていく。

Shey Gompa


 夜に沈む前のシェイ・ゴンパ。

Lake near Shey Gompa


 夕日に照らされたシェイ・ゴンパの前に広がる池とラダック山地。

Shey Gompa


 別角度のシェイ・ゴンパ。

CD shop


 CDショップの店番をする。レーにて。

CD shop


 ジミーのCDショップの写真もう一枚。

2009年9月22日火曜日

22.夕暮れの中の疾走。

 マナリ・ハイウェイをレーに向けて疾走している。

 日が沈む前にできるだけレーに近づきたかった。アメリカ人観光客を乗せたバスの横を追い抜く。とんでもないスピードだ。転んだらジ・エンドだ。でもレーサーの経験もあるジミーの運転は安定していて安心できる。僕が地上を走る乗り物で早いものを聞かれたら迷わず新幹線とジミーが運転するバイクと答えるだろう。

 途中でスタクナ・ゴンパがよく見えるところで小休止。夕日をあびてインダス川に浮かび上がるスタクナ・ゴンパは幻想的で圧倒的だった。

 寒くなってきたのでジミーが上着を前後ろ反対に着て風の影響を少なくする。レーに向かう。あいもかわらずマナリ・ハイウェイを疾走する。そして僕らは風になる。あごひものない僕のヘルメットが、時おり風で遠くに飛ばされた。

 途中チャンマの間からティクセ・ゴンパが見えてくる。夕日を浴びて黄金に輝いてる様子を見て息をのんだ。

Manali Highway


 日が傾き始めたマナリ・ハイウェイ。

Stakna gompa


 ラダック平原の中、スタクナ・ゴンパを遠景に見る。

Stakna gompa


 インダス川のふち、幻想的に浮かび上がるスタクナ・ゴンパ。

Tikse Gompa


 夕日で燃え盛るチャンマの間から見えるティクセ・ゴンパ。

Tikse Gompa


 夕日の中、近景のティクセ・ゴンパ。

2009年9月21日月曜日

21.夕暮れヘミスとお坊さんの叡智

 カル村を通りすぎ、ヘミス・ゴンパに向かう。日もだいぶ傾き始め、夕暮れの様相をかもし出してきた。夕日に照らされた岩肌がオレンジ色に光りだしている。

 木々の間からヘミスが見えてきた。夕日に照らされて岩肌にへばりつくそれは、すばらしく美しく、壮言でいて、繊細だった。

 夕暮れの中、ヘミス・ゴンパの前に静かにバイクを止める。観光客はまばらだ。額に浮いたあぶら汗を吹きながら、なにやらジミーがバイクを触っている。空は晴れているのに、ジミーの表情が曇った。

 ジミーが言う「ジョン、ビッグプログレム」
 僕「何?」
 ジミー「ライトがつかない」
 もうスグ日が沈む。
 僕「・・・」。

 お坊さんたちがバイクの回りに集まりだす。一人のお坊さんがライトのあたりをいじり出す。とみごとに直ってしまった。「ワオ」「ありがとう」ジミーも僕も感謝でいっぱいだった。

 お坊さんたちにヘミス・ゴンパの中を案内してもらう。足早に拝観して僕たちは夕日で染まったヘミス・ゴンパを後にした。

Hemis


 木々の間からオレンジ色に輝くヘミスが見えてきた。

Hemis


 岩肌の前にそびえ立つヘミス・ゴンパ。

Lama at Hemis


 ここはお坊さんが多い。ナクシャを上から撮る

Lama at Hemis


 ヘミスの青年お坊さん。

Lama at Hemis


 年輪が感じられるお坊さん二人。

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